ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

ただの愚痴。それだけ。

 

ありがとうございました。

失礼します。

 

一息で吐き出した言葉とともに、あぁ僕の夢はここで終わったんだなと認識するのにそう時間はかからなかった。

 

第一志望の企業に落ちた。

それだけ。

それだけを認識するのは一瞬だったけれど、賭けてたものは思いのほか大きかった。

 

 

たったそれだけのことだけど、久しぶりに泣きたいなと思った。

 

帰ってふて寝して、夢に見たのは自分の名前だけ掲示されてない、選挙の花を貼るあの掲示版の夢だった。

 

起きてまた泣きたくなって、別の企業の最終面接に出向いた。

聞かれたことに淡々と熱意を込めて返答するそのそぶりは、最近流行りのチャットbotとなんら変わらないなと思った。

 

情けない。

 

帰り道は音漏れとか気にする余裕ないくらいに悲しくて、忘れらんねぇよをおっきな音で聞いた。

 

また泣きたくなった。

涙出ないけど。

 

そういえば、泣きたいとか、なんかの感想を伝えるときに泣いたわ〜って言うことは増えたけど、涙は出なくなった。

 

人目があるのか、なにが原因か分かんないけど、昔みたいに泣きじゃくるとかなくなった。

 

何かを噛み締めた、いわゆる大人みたいな顔した自分を窓越しに見ることは増えたけれども。

 

この前大学院の授業で議論した、メトニミーとメタファーの話を思い出した。

行為そのものが比喩になって、例えに使われるあれ。

 

僕の涙は僕の中では比喩表現に成り上がった。成り下がったのかもだけど。

 

泣くという行為はいつしか実態を伴わなくなった。悲しさや切なさを伝える言語表現になった。

泣きたいわ〜って笑うと、ある程度の悲しさを人に伝えられる。コミュニケーションが短文化された現代社会においてこれほど便利な表現はそうない。

 

生きづらいなって久しぶりに思った。

他者に必要とされない。

拒絶されることが、これほどまでに、辛いとは。

 

お祈りメールとかならまだいい。というかそんなに数もない。

中途半端にいいところまで進むから余計に辛い。

 

最初から期待してなければ。最初から期待を抱かなければこんな気持ちになることもなかった。

 

傷心をバネに創作できるやつは才能がないらしい。

ボブディランが言ってたらしいって生湯葉シホさんが言ってた。

久しぶりに折れたこの心を創作に生かさなかったら、なにに生かしていいか分からない。

 

敗者復活戦とかに全力で挑める人はポテンシャル高いなと思った。

普通負けたタイミングで心がポッキリいく。

 

まぁもういいか。

 

落ちたことはもうこの際仕方なくて、涙は出ないからあまり気づかれないけど、定期的に泣きたいと思うこの心のメトニミーは、忘れたくないなと思った。

 

ベロベロに酔っ払って、スマホを必死にフリックして書いたこの文章をいつか見返したときに、恥ずかしい!ってなるくらいにはもう少し頑張ろうとも思った。

 

 

 

でもこの切なさは忘れらんねぇよ。

 

 

就活生は何処へ行く。

 

なんだかんだあって就活をしている。

 

同い年の奴らはみんな社会人だから、ありがちな情報交換やSPIの話、一緒に説明会に行ってみるとか、そんなことは一切ない。

 

水滴がテーブルの上で五輪の形になった居酒屋では、みんな揃って学生の素晴らしさを教えてくれるが、羨ましいなと思ってしまう。

戻りたい過去と、比較できるだけの今があるなんて素晴らしいじゃないか。少なくとも、実像のある将来を実感しているんでしょう?

 

それは学生のたわごとだと笑うかね。

 

とにかく素敵らしい学生という肩書きを持つ僕は、就活に必死だ。

受かれば叫びたい衝動を抑えて電車に乗るし、落ちたら履歴書やESを見返して確かにこんなやつ採らないよなと、笑う。

 

では、内定はどうだろう。

なりたい自分と、あの娘を口説くくらいの意気込みで語ったラブコールが、見事に実った結果だけれども、内定をもらったときはどんな反応が適当なのだろうか。

 

素直に喜べない。

具体性のない将来が、急に姿を見せてきて吐き気がした。

 

なりたい自分は、本当になりたい像なのか。

強みは?弱みは?PRポイントは?

それは本当に自分なのか不安になってくる。

 

どこにも実態がない。

 

職種?働き方?我が子を抱える奥さんが待つ家に帰る足取り?

なにをもって将来の自分を想像すればいいのか。

 

みんなどこかで線を引くのだろうけど、線の引き方はマナー講座でもセミナーでも合同説明会でも教えてくれなかった。ハムレットにも、マクベスにも、終わり良ければすべて良しにも書いてなかった。

 

みんなどこに線を引いてそっち側に渡ったんだい。

 

軸でしょ。なんて回答がエリート就活生から聞こえてきそうだけど、軸ってなんだよ。

立て方があってるかなんて、将来振り返って見なければわからない。

人生やり直せるのは数回きり。残数の確認は残念ながら今現在できなさそうだ。

 

あのときこうしていればと、ソラニンを聞いておセンチになれるのは高校生までだ。

 

 

幸せな悩みなのだと思う。

いろんな企業によくしていただいて、いろんな企業に興味を持ってもらえてる。

 

果たしてその自分が、自分なのかわからないだけで。

 

何かになりたい自分は何者なのか。

地下鉄の窓越しに映る自分の顔は20数年間見続けてきた自分そのものだった。

 

乗り換えを急ぐ足が、追い抜いてきた人々の、人生まで追い越していけたらいいのになぁ。

誰かに人生や夢の続きを託されていたらそれを大義にできたのかね。

 

階段を上がると初夏だった。

汗ばんだワイシャツと、緩めたいネクタイにがんじがらめの僕は、過去の僕が託した将来像を形にしていく現在に実感を持てない。

 

空虚さと実感の湧かない自分自身を就活バッグに詰めて帰路につく。

 

 

では、また。

 

P.S.

都電荒川線って東京さくらトラムってオシャレな名前に変わったんですね。

 

いつだって背中からバッサリ。

 

僕がまだ高校生だった頃。

ラウド系のPVは白黒でギターとベースはシールドを波打たせるのが定番だった。

 

 頭一つ抜けるバンドはなく、深夜番組のEDに使われた曲が知れ渡って行く。そんな流れを壊したのはワンオクだったと思う。

 

 ナオトインティライミと清木場がクラスのヒットチャートをかっさらってく中、俺たちが!とデカイ音をかき鳴らすワンオクは、自転車通学を支える僕のiPodのスタメンになるのにそう時間はかからなかった。

 

バイトなんてハイカラなもん全くしてなかったけれど、なんとか近場のライブには多く参加し、痴漢やナンパが問題視される前の、ワンオク好きなやつに悪いやつはいないという空気感、熱気とワクワクであったまったスタンドで飛び跳ねていた。

 

思えば新譜を待ちわび、歌詞カードを食い入るようにみたバンドはワンオクとPeople in the BOXとバズマザーズくらいかもしれない。

そんくらいにどハマりした。

 

 

f:id:nekoshisei:20180109192105j:image

画像はYouTubeのPVより

https://youtu.be/xGbxsiBZGPI

 

 

 

だからリリースからしばらく経ってドコモCMにwherever you areが使われていたときは驚いた。

世界を目指すって高らかに叫んでいたバンドだったから、国内で人気になるっていうのは当たり前のことで、前提条件でしかなかったのだろう。

 

けれど、ワンオクがナオトインティライミを聴いていた人たちのiPhoneやウォークマンのスタメンになるころには、まったく聴かなくなっていた。

 

独占欲だとかそういったものもあった。けれどそれ以上にやっぱり、ファン層が変わったり、大人たちが介入したことで変わった空気感に馴染めなくなった。

ウェーイって笑う人たちとの疎外感から聴き始めたワンオクに疎外感を感じるとは思いもしなかった。誰も悪くない。悪いのはなんか勝手に所属欲求を満たしてた自分だ。多くの人がこのパターンからジレンマに苦しめられていると思う。

 

イモトは安室ちゃんのラストライブに対して、みんなに見てほしいけど、記念で参加する人は来ないでほしい、チケットが当たらなくなる、でもやっぱり権利は平等だし、みんなの安室ちゃんと葛藤していた。

 

f:id:nekoshisei:20180109192402j:image

画像はハム速より

http://hamusoku.com/archives/9741621.html

 

後から、とか記念に、とかそういう人との距離感に悩むのは、ファンの恒例行事だ。

 

 

好きなアーティストが人気になることに対して、昨今のSNSではさまざまな意見が飛び交って、昔からファンだったやつらが勝手なマウンティングによる偉ぶりを見せている。

 

気持ちは分からなくもない。僕たち、私たち分かってます。昔からのファンですから、と言いたくなる気持ちはよくわかる。なんなら声を大にして言いたい。

ラバーバンドやステッカーなどアーティストのグッズをつけるのが流行るくらい、アーティストのファンというのはその1員に所属するものなのだ。

そのファンに所属する自分が大切なのだ。これだけは譲れない。だから所属していた母体の空気感が変わると、身の振り方が分からなくなる。

 

 

サカナクションの山口は、このことに嫉妬心の問題だよねとラジオで分析していた。

 

f:id:nekoshisei:20180109194405j:image

画像はTOKYOFMより

http://www.tfm.co.jp/lock/sakana/smartphone/index.php?itemid=10006&catid=17

 

 

たしかに、自分だけが知っている秘め事のようなものがなくなっちゃうの嫌だよなと思うも、それだけでは説明しきれない部分もある。

 

久しぶりに再会した友達にもうあの頃とは違うんだなって感じるように、ハマってた楽しい頃の記憶が大衆化したバンドのライブや音源からは見つけ出せないのだ。

 

 

もしかしたら僕らは音楽が好きじゃないのかもしれない。

片思い、失恋、勝負事の前、はしゃぎたいとき、様々な心境を、音楽は彩ってくれる。

AppleMusic spotify Amazon Musicに盛り上がりたいときのプレイリストや、悲しいときのプレイリストなんていう、感情面を押し出したプレイリストがたくさんあることが証明してくれてる。

感情に合わせた曲を選ぶくらいに、構成や音の良し悪しで選曲をしなくなったんだと思う。

 

 

その流れで曲を聴くのに、空気感が変わったことで、聞き手がバンドに入れ込んでいた感情が阻害されてしまう。

入れ込む側が勝手に自滅したといえばそれまでなんだけど、感情で聴くのが音楽ならこれは避けられない。

 

 

言ってしまえば、音楽以外にもこの失われてしまった感はたくさんある。

 

クラスに残って、男2女2くらいで楽しく話していたら後から全員の知人が来て、謎の盛り上がりが消えてしまったり、

サシで遊ぶ気満々でいたら共通の友人が参加してきたとか、膨らませた感情に突然後から来たやつが針を刺していくのだ。

 

YouTubeの広告もそう。お金のかかってないチープなやつが面白くて、広告でも見られてなのに、企業がお金にものを言わせて参入したために、5秒スキップを連打する事態に陥っている。

 

 

和楽器バンドが歌ってるガリバーのCM、とてつもなくうるさいんじゃ。耳に残るからから余計に。歌唱力王とか言うカラオケ大会の番宣で、AIとHYに苦しめられている耳がさらに追い詰められている。キャッチーと苦しみは紙一重になった。

 

 

サイトの広告もそう。もうエログロの王様ゲーム的なやつこっちはお腹いっぱいなんじゃ。

大したオチも中身もないような漫画、宣伝しなくなって、ストレスなく読みたい学生が勝手に読むから。

 

 

いつだってそう。なんだってそう。

後から来たやつらが勝手に空気感を変えて、消費しきって、勝手に去っていくのだ。

郷に入りてはというかなんというか。十分に調査した上で入ってきて欲しいと思うのは、傲慢なのだろうか。

 

 

前だけ見てたいライブでも、動画を見たいYouTubeでも、後ろまで気にして楽しむのは難しい。そんな気を回さないくらいにコンテンツを楽しみたいのだ。

 

 

切り捨て御免で後ろからバッサリやられるのはたまったもんじゃない。

 

 

頼む。

後から入ってくるときは、郷に従ってくれ。傲慢だし、母体となってるバンドやプラットフォームからしたらそんなの関係ないのはわかってる。でもあの疎外感は多くの人が感じて多くの人が葛藤してるんだ。

 

これ以上所属欲求を満たせなくなるのは苦しい。ただそれだけ。

 

 

では、また。