ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

聞き役は永遠にあがれないすごろくの中。

 

周りにいませんか?

想定してた反応や答えが返ってこないとあ、いいやってなっちゃう人。

 

体調が悪いとか、あまりない失敗談を話したら、あ、俺も。私もって上から被せてくる人。

 

・・・待ってくれよ。今は俺が話す番だろうが!さっきまで大したフックもオチもない話しに、合いの手入れたり突っ込んだりして膨らませてやったじゃないか。もう十分話したろ。まだ話し足りないのかよ。また、俺聞く番?

 

こんな経験したことがある同志よ。今日は不憫なあなた方が対象の記事だ。

 

 

そもそも自分語りでなくとも話は、聞き手がいて初めて成り立つ。

言いたいことを言えるか、結論まで話せるかは、聞き手の手腕にかかってる。

 

聞き上手はモテるという定説が広まり、相槌をうつとかテクニックを学んだ人もさぞ多いことだろう。ご多聞にもれず僕も学びましたよ。相手の言ったことを繰り返してリアクションとかいつ使うんだろうね。

 

で、いざ聞き役に回ると順番の回ってこないすごろくをやってる気分になる。これで本当にモテるわけ?なんど逃げ込んだトイレで考えただろうか。

話し手が楽しそうに語る中、素敵な夜を過ごすために、話にリアクションをとるけど、いつまでたっても順番が回ってこない。さっきから頷いてしかいない。話しに乗っかればいいんだろうけど、俺もそれあるよと下手に共感すると、話の本腰を奪うことになりかねない。

 

モテるモテないに関係なく、話を最後までできないのはストレスだと僕は思う。同様の体験をしていた場合であっても、話の大小に関係なくあーわかるわかるってなったら、話をするよりただの共感大会になってしまう。伝えるというより価値観がブレてないかの確認大会だ。人との差異を認めましょうという意見に迎合し、アイデンティティや個人の価値に重きを置く文化を大切にし始めたのに、人と違わないかを意識して会話するのは本末転倒であろう。プロフィール欄を埋めるスラッシュの列は個人の表象ではなかったのか。

 

 

話しに乗っかるのはどこまでがありで、どこまでなら奪わず相手主体になるのだろうか。

相手の話より規模がでかく希少価値が高いものはダメだろう。話を飛び台にして、自分の話を気持ちよくして終わりになってしまう。意外性のなくなった話を掘り返すのは違う。

 

だから僕は、聞き役、話し役ではなく話し役と司会役のポジションを回すのが僕は一番うまくいくと思う。

会話に参加してるのが何人だろうと、聞き役ではなく、全体を楽しませることに徹する役を回しながらやれば気持ちよく話せるタイミングを一回は経験できるだろう。

僕の経験なんではっきりと断言はできませんが、、、

 

とにかく、上述した例を含め、役割は回してなんぼだ。

盛り上がる会話というのは往々にして、口を開くタイミングが全体に行き渡ってることが必要かつ十分条件だと思う。

例外や反論は認めます。むしろうまい会話の展開の秘訣は教えて欲しい。

 

 

なんにせよ、相手の反応を見ながら会話を進めることが大切なのは言うまでもない。

ハウツー本に首ったけになる前に、個を大切にすることを選んだ現代なのだからと、相手に配慮をしながら、楽しい時間を共有しようとする意識がこのすごろくをあがる鍵になると思う。

 

会話において配慮しなければならないことは、話の質なんかより、役割を持てるかこれにつきる。

 

では、また。