ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

読書の必要性について考える。

 

本を読むといい。ってのは全国津々浦々、古今東西どこでも言われてることでありながら、読んだ人以外はメリットを享受することがないため、懐疑的な見方をする人が増え、都市伝説になってる通説。

 

読書以外にも娯楽が増え、情報処理に最も重要な視覚で楽しめる、動画が登場してからはますます本を読むという娯楽は衰退していってる。

電車に乗ってる人たちみんながスマホを見てて不気味という投稿も目にするくらい、空き時間にする読書はスマホをいじるに取って代わられた。

 

情報を獲得する。という点においては、雑誌や書籍よりもSNSやキュレーションサイトから得たほうが伝達速度が早いため、最新の情報をみつけることができる。研究機関のHPが公開しているものであればソースとしても十分だろう。ネットの情報は嘘もある。というのはDeNAまとめサイト問題からしても明らかだが、10年前に比べたら信用できる情報も格段に増えている。

速度と情報量という観点で見れば、ネットと読書ではネットに軍配があがる。

 

しかし、発行部数が減少傾向にあるとはいえ、今でもなお芥川賞直木賞本屋大賞など大小様々な賞が注目を集め、人々が書店に足を運ぶのは、読書がネットの情報に目を通すのとは全く異なる独自性があるからだ。

この独自性が読書はいいと言われる理由であり、本を読んだ人にしかわからない感覚なのだ。

 

前置きが長くなったけど、今日は読むべき本について考えたい。

 

これは特に学生に言えることだけど、本を読むというのは2種類に分けられる。

1つは知識を蓄えるという意味での読書。これは新書であったり、批評書の類もしくは雑誌を読むことで、知識を自分の血肉にするものだ。情報を得るということでもある。

 

もう1つは「追体験」するという読書。

僕はこれが大事なことだおもう。

 

僕らは主観で物事を認識し、判断するから、世界は主観の中に構築される。他人の世界が覗けないのはこの主観を共有できないことに起因する。僕はこう思う、私はこう思うという意見交換は人の見方を学ぶことにはなるが、その人になることはできない。

追体験する読書は、自分以外の主観を持つことで視野を広げ、知らなかった世界を持つことを可能にするのだ。

 

小説や思想書を読むことで、その人がもつ価値観や思考を自分に投影することで擬似的ではあるが他者の視点を獲得できる。知らない世界の覗くことで、自分をとりまく世界が広がるのだ。

読み終わった後、自分自身が再構築されるような感覚すら味わえる。

 

これをより深く経験するためには、読者が作者に近づく必要がある。

それが書かれた時代背景や批判している社会構造を知っていれば知っているだけ作品に深く入り込める。

また、街並みや、動作、SFであれば科学的知識、ミステリーであれば使われる道具に関する知識など、あらゆる側面からイメージできるだけの自分に蓄えられた知識があればあるほど、自分に投影できる世界が広がっていく。

 

読書はいいと言われるのはこの体験ができるからだ。知らない世界を覗き、価値観や思考を深める。教養以外の多くのものを得る読書体験の重要性は、経験したことのある人でなければわからない。だから懐疑的な立場を生むのだろう。

 

 

『星の王子様』を書いたサン=テグジュペリという人がいる。

大人になってから読み直すべき本として評判の同作品以外にもう1つ、追体験という点において、読んだらいいんじゃないかと思う本を紹介したい。

 

『人間の土地』サン=テグジュペリ堀口大學新潮文庫 

 

職業飛行家としての体験を踏まえながら、サハラ砂漠に不時着し、奇跡的に生還した話を綴った作品。

『星の王子様』や、深く傾倒されているキャラクターである、伊坂幸太郎の『砂漠』に出てくる西嶋の行動原理にもつながる著者の優しさや、勇気の源泉が何によって作られたのかがよく分かる作品です。経験を追体験することで、人間やそれをとりまく空と大地に関する見聞が広がると思います。

また、あとがき的な立ち位置の宮崎駿の『空のいけにえ』が作品をより深めています。

 

どこか遠くに行きたい。とか生活が息苦しい、とかを感じたら読んでみてください。

 

人類の足跡を見失って、切り離されても、もう一度戻れる。そういった1つの考え方を抱けます。

 

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