ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

「いやでもお前童貞じゃん」という夢も希望もない話。

 

でもやったことないんでしょ。

あまりにも無慈悲な言葉だと思いませんか。切り捨て御免が早すぎる。

悪即斬かよ。

 

いや、確かに正しいこと言ってるとは思うんですよ。経験してからじゃなきゃ分からないことって多いし。

山の頂上からの景色とか、留学の意義とか、ハンバーグの美味しさとか。

経験したことがなければ想像の範囲内でしか考えられないから、話はやってからだ的な流れになるのに一定の理解は示せるんだけど、現実を突きつければいいってもんじゃない。発言権って誰かに与えてもらうもんじゃないでしょうに。

 

童貞に女性を語るのは、人肌の暖かさを知ってからだって言ってるのと、本質は変わんないですからね。経験がなくたって異性をテーマに扱って良いでしょう。

こんな感じで1夜をすごしたいわ~って発言してる彼に、「いやでもお前童貞じゃん」なんて言えますか?夢も希望も一瞬にしてなくなっちゃうじゃないですか。可能性のない想像力を人は妄想と呼ぶけれど、過去に蓄積されたものの中からしか、話として扱えなくなったら、誰も口を開けなくなると僕は思うんですよ。

 

食べたら分かるよ、とか、見てみたら分かるよは、話の想像性を一瞬にして奪い去る。考えや想像したものに至るまでの過程を根こそぎ奪い去り、ただ五感が感じる結果のみにフォーカスするのでは、思考の連続性が不必要になる。

 

いま階段を登ってる、目の前にスカート短いJKがいる、速度を落とせば良い角度が作れるかもしれない、おいおっさんなんで目の前に割り込むんだよ。

こんなふうに、人は思考を連続させて、考えを発展させる。起承転結も序破急もこの連続性が基盤となる。考えの素を早急に封じることで、論破と勝ち誇る人を見かけるけれど、経験のあるなしは意見の強弱であって、理論の成立を阻害するものではない。

ハンバーグ食べたことない人が美味しさや魅力を語っていても、説得力がないだけで、論理の破綻はないじゃないですか。流石にびっくりドンキーのハンバーグは美味しくないよね~って言われたら、いや食べたことないじゃん。てなるけれども。美味しくないんでしょ?は想像や伝聞であって、理論が破綻しているとは考えられない。

なんでもかんでも「はい論破」じゃないんだよ。さっきから口臭いぞ。

 

ただ、声がデカイというか、理解できないものを否定してるだけの発言は、経験がないのに何をと、思う。

海外の長期滞在経験がないのに、留学してなにすんだよ。とか、行くのは自己満足でしょ?とか、そういったものはただの難癖だなと思う。こればっかりは悪即斬で構わないんじゃないか。

経験者が見出す意義は未経験からすればもちろん分からないものである。それに対する文句を言う権利は未経験者にはない。

 

昨今はSNS上のやりとりみたいに、短い会話でやりとりすることが多い。

定型文のような短いセンテンスで意志の疎通が図れるうちに、具体的な考えを盛り込むことが少なくなっているように感じる。

写真に残せる経験だけを伝えるなかで、想像を巡らせる心情や人柄は見えないように押し込められている。

切り出した結果に匂わせた生活感が、受験や部活、仕事においては結果が全てであり、過程の健闘を称えることはないという、日本人の美徳を丹念に磨かれてきた人々の価値観を語っていると思う。

 

行き着くまでの道中までも楽しい旅行のように、思考を巡らせている結果までの過程も楽しんだり、人に話せるものとして扱われるべきだと僕は思う。

 

「やったら分かるよ」「でもやってないんでしょ」という悪即斬の2大巨頭。重視するのは結果でおおいに構わないけれど、育成ゲームよろしく、おもしろかったり、興味深かったりするのは過程かもわからんですよ。

 

 

では、また。牙突