ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

いきものがかりアレルギー

 

13日の母の日を終え、どうにか、世間のしょっぱさから抜け出せたような、そんな5月の3週目。

不文律となった家族を、母を大切にするという感情。それが余計なお世話だって人も一定数はいると思うんですよ。無条件に右に倣えのイベントには違和感がある。

 

日本人として生活してると感じる不文律の気持ち悪さは、結構引っかかることが多い。

卒業ソングで感動しましょうとか、いきものがかりの『ありがとう』は名曲だからとか、辛い時は応援ソング聴けば元気になるとか、会話中は空気を読みきらないと発言しちゃいけないとか、24時間テレビのお涙頂戴は泣けて当たり前とか。

家族は無条件に大切にしましょうもそうだけど、余計なお世話だよって感じることもある。

そうじゃない場合は見ないことにする、汚いものには蓋をの考え方はこういった、良し悪しに関わる不文律の中にも多く見受けられる。

 

ファンの方いらっしゃったら申し訳ないんだけど、『ありがとう』の気持ち悪さ、余計なお世話感は尋常じゃない。体が痒くなる。大事な場面でいい曲だから~と、BGMにするテレビを見ると一気に萎えるし、感謝の意を示すために歌いましょうとかやってんの寒くて仕方がない。全体的に薄っぺらい。

 

全曲通じてメロディーに乗ってる言葉選びが、すべからく道徳の教科書くさい。

ドリカムの希望に対して拒否反応示す「ドリカムアレルギー」が共感を集めていたが、いきものがかりの役所が作ったような道徳っぷりにもアレルギー反応示しちゃう人いるんじゃないだろうか。

 

今日はそんな「いきものがかりアレルギー」を考えたい

 

ケンカした日も 泣きあった日も それぞれ彩咲かせて

真っ白なこころに 描かれた未来を まだ書き足していくんだ

いきものがかり ありがとう 

http://j-lyric.net/artist/a04c814/l02055d.html

 

万人が想像する男女間の生活といえば生活で、そういった幅広さが受け入れられ、売れた理由なのかもとは思うんですけど、いい曲だから、と半ば押し付けられる形で名曲とされた『ありがとう』を含め、彼ら?彼女ら?の曲は、見栄えのいい愛だけを切り取り、人間味がないというか、俗っぽさを含んだ広く一般的な愛が見えてこない。

 

体裁のいい愛に肉体的感情はいっさいなく、生物が抱く自然な愛というよりかは、美化された愛のみが描かれているところに、この寒さとむず痒さがあるのではないだろうか。

アオハライド』ですらもう少し、感情に起因する愛に近いものが描かれている。

ショーケースの中の世界的な、愛の売り物っぽさがすごい。ここに不文律とされた愛の形が見え隠れして痛々しい。

聖人だけですよこんな恋愛の形式を大事にしてるの。

 

こうあるべきでしょ。という男女間における定義は残念ながら、高尚な想像だけのものであって、欲には蓋をしたんだなと感じてしまう。

 

”ありがとう”って伝えたくて あなたを見つめるけど

繋がれた右手が まっすぐな想いを 不器用に伝えている

いつまでも ただ いつまでも あなたと笑っていたいから

信じたこの道を 確かめていくように 今ゆっくりと歩いていこう

いきものがかり ありがとう 

 

引用するために歌詞見て打ち込んでると、綺麗すぎてだんだん難癖つけてる自分が、ひどく汚れた人間に思えてくる。彼らがよく言う歌の力ってやつですねこれが。

とにかくキレイで純真無垢。無菌室みたい。人間が生存できない無条件なキレイさと恋愛が重ねられていて、蕁麻疹でてきそう。

 

広義の意味では万人ウケしそうなんだけど、それって右に倣えじゃないですか?

全体的にさらっとすくっているから、自分も曲に共感できているような感じになっているだけではないですか。

 

鳴り止まぬ 愛をさけぶよ すべてを抱いて ここにいるんだ ひかりはそこにあるよ 

ゆずれない 思いを架けて 希望の果てを 僕は生きるよ 夢をつないだ 君と

いきものがかり 熱情のスペクトラム

http://j-lyric.net/artist/a04c814/l033229.html

 

概念てきなものを歌っているからあまり違和感を感じないけれど、鳴り止まぬ愛はやっぱり光と隣り合わせ。

絶対に昼ドラ的な側面は考慮しないという姿勢には感服いたす。

ただただ、まぶしい愛は想像の中だけのもので、具体的な事例があまり見えてこない。

希望とか、夢とか、愛とか、漠然とした言葉だけで進める話の中に、日本人の不文律が見え隠れしている。

 

ここにまたアレルギーを感じる。

J-POPは翼広げて夢を掴みがちって言われてるけど、夢・希望・愛も似たようなもので、説明を付け加えなくても、それだけで受け手が勝手に想像できてしまうから、こうあるべきだよねという、道徳的な実態だけが残ってしまう。

 

 

指切りした約束を今もふたり抱きしめて

確かに追い続けてく その手を離しはしない

いきものがかり 青春ライン 

http://j-lyric.net/artist/a04c814/l00b03d.html

 

君と僕との世界の中だけで、絶対に話が動く。

実際にそんな経験したことある人のほうが少ないだろう。

けれど、高校生の部活の夢はマネージャーと約束で追いかけるてきな、一般的な想像を常に背景に浮かべられるから、教科書通りに歌詞が展開されても、わけわかんなくなることがない。

 

だからむず痒い。青春とはこうあるべき。みたいな不文律に基づいているから、常に具体性がなく、残った道徳的な実態にアレルギー反応を示してしまう。

授業のたびに配られる、あの道徳の教科書的な綺麗さだけが歌われるから、連続で聞くと胸焼けがおきる。

 

うんざりするような綺麗事だけが、上っ面を縫って歌われていることに僕は「いきものがかりアレルギー」の本質があるように思えます。

多様性が叫ばれる日本で、希望に向かって二人で寄り添っていくことこそが愛なのだと歌ったこの歌が、名曲になるのも不思議な話ですよね。

 

詳しい説明をしないから、歌われる愛や希望は薄っぺらく、こうあるべきだよねと暗黙の了解を伝えてくる歌詞に、むず痒さと気持ち悪さを感じるのです。

 

 

 

では、また。