ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

「あとで見る」は絶対見ない。

 

特に買いたい本がなくても、デカイ本屋や古本屋をめぐり、タイトルで買いたい本を決める、タイトル買い。

 

その場で買える時ならなんの問題もなく、帰路の途中でも嬉々として袋から取り出し読み始めることはしょっちゅうある。

 

しかし、今は買わないけどいずれ絶対買うからメモしておこう。

これは無駄なことだと分かっていても、不安が原因でやめることはできない。

 

また再会できなかったら損する気がする。と勝手に、焦りと不安ともったいないを煽ってしまうのだ。

 

一見すると、未来の自分に良いパスを出してるようにみえるこのメモは、実はとんでもなく悪しき行為だと僕は思います。

 

ウィッシュリストも欲しいものリストも、あとで見るも、全部所有した気持ちだけを渡してきませんか。

 

そこに登録した段階で、読んだ気に見た気に買った気になってしまうのは僕だけですか。

 

コメディ系を求めてるのに、ダウナー系に気になる作品があった時、後ろ髪を引かれながらも、その作品を見たり読んだりするのは、コメディを求める気持ちからはそれるため一旦保留にする。

けど、気分がマッチしてる時なら確実に読むだろう。だから。

 

あとで、とするのは多くの人がこんな流れの中でであろう。

 

けれど、このあとでのリストに入れた時、今すぐに向き合う時間を取らず保留した時、なぜだかもうその作品をすでに読んだり見たような気になってしまう。

 

タイトルやあらすじに惹かれた作品だったはずなのに、あとでリストを漁ってる時にはなぜだか、もう分かってるからいいよなと、勝手に作品を自分の血肉にしてしまっている自分がいる。

 

こうして僕はHuluをやめた。

メモしたあとでリストを見返すこともできていない。

 

見るよりも、リストを増やすことに楽しさを見出してしまっていたし、登録すれば所有できたような錯覚を起こしてしまっている。

 

セクシービデオも似たようなもんだ。めちゃめちゃいいと思って保存しても、いいのはその時だけで、結局見返したりすることはない。

所有することに満足しようとしている。

 

非常に無駄なことだと知りながらも、その場でどうこうしようとする気がないのに、いつでも思い出せるようにしておかないと不安になる。

その不安は登録したことで、所有した気になる、実態のない所有欲がかき消してしまう。とりあえず持ってるから大丈夫というミスリードは、ミジンコほども大丈夫じゃない。

 

あぁ、そういえばこれこの前気になってたんだ。

旧友と会うかのような、ゆるい偶然の再会がきっと手に取るきっかけとして1番いいと僕は思います。

 

登録してあったから読まなきゃ見なきゃというのは、義務感でしかない。

 

あとに回したことで湧き出る所有欲。

明日やろうは馬鹿野郎と同じで、あとでがくることは多分ない。

 

せっかく出会えたのに、わざわざそれを手放してしまうのだから、あとに回す方がもったいない。

 

僕のがそうであるように、皆さんの買いたいものリストは、買いたくないものしかない。

そう思います。

 

では、また。