ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

オススメするのはやめてくれ。

 

絶対これ好きだと思う。という優しさは、思いやりがあるように見えて、なにも思いやれていない。

 

そう思いませんか。

 

好きそうであるポイントを説明されるたび、反対に聞こう見ようという気持ちはどんどん失われていく。

 

オススメは作品との出会いを遠ざける。

 

 

今日はそんなレコメンドについてのお話です。

 

 

そもそもなぜ、見る気を無くすかということなんですけど、単純に気分じゃないからパターンと、いや、お前に俺のなにがわかるんだよパターンが存在する。

 

場合によって違うが、ほとんどの理由が後者であることが多いように思われる。

 

 

前者の場合。

 

普段なら間違いなく好みなんだけど、今は見たい気分じゃない。違うジャンルや違う媒体にハマってるものがある時に陥りやすい理由だと思われる。

 

ハングオーバーにハマってる時にカッコーの巣の上でとか、17歳のカルテとかアメリとか見る気にならないでしょって話。

それこそあとで見るリストに直行だ。

 

 

気になるあの子と一緒。

和食は気分じゃないし、洋食も気分じゃない。麺も違うけど、パンじゃない。なにをオススメしてもパンチがかすらない。

 

じゃあ餓死してくれよ。と言いたくなるが待ちにこがれた楽しいデート。悲しいかな、怒るそぶりなどおくびにも出せず、ぐるなびGoogleマップを凝視するしかない。

瞳を凝視し合う想像だけはバッチリだったのにな。

 

グーグル先生も虫か、草か、犬くらいしか姫様のお気分に合いそうなのを見つけられない。

中国に一緒に高飛びするアル。

 

 

気分じゃなければ、興味という土台は築かれることすらない。

椅子を買ったのに他の家具じゃなくて椅子ばっかり勧めてくるネットショップと一緒だ。

今はそっちじゃないんだよね。という感じ。

 

オススメされといて、偉そうな話ではあるが、気分じゃないんだよね。と、なるのにも興味が根本から無いというちゃんとした理由があるのだ。

 

 

後者の場合。

オススメされたら見る気なくなっちゃう勢は、ほとんどがこっちだと思われる。

 

占いが当てはまるように、自分自身が自覚している人間性というのは、両面があったり、微妙なニュアンスを含んだ性格だったりして、見られ方と、見方が違う。

 

普段は頼れるリーダー的な存在だけど、2人きりのときは頼ってしまいがち。とか、ミステリアスに見られているけど情熱的とか。

大の甘党だと思ってるけど、他と比較したらさほどではないとか。

優しいと言われることが多いけど、単純に自己の利益を追求してるだけとか。

 

自分自身の見方は、人からと自分からでは各面において微妙に違うことがほとんどである。

 

だから、絶対好きだよと言われると、この微妙な私のどこを見て知って言ってるのと、気づいたら斜に構えている。

 

 

好きであると考えられるポイントを挙げられるたびに、いやいや、そんなことないからとかそれだけじゃないから。と思っている自分がいる。

 

当てはまるのが嫌なのか、簡単に理解されたことが嫌なのか、判断はつかないけど、見ること聞くことは多分一生ない。

 

僕はART-SCHOOLをよくオススメされるんですけど、多分一生聞かない。

きっと好きなんだろうし、聞いたら絶対ハマるんだろうけど、聞くに聞けない。

心を構えすぎちゃってもう曲に入っていけない。

あとなんか、漠然と怖いイメージがあるファンの仲間入りを果たしたくない。

 

 

もし仮に見たとしても、自分の好きな〇〇トップ10とかには絶対に入れない。というひねくれた場合も存在する。

 

知ったきっかけにオススメされたからと言いたくない。

ただそれだけの理由でだ。

ひどく子供っぽいが、作品と出会うまでの流れも大事だったりするのだ。

 

 

オススメはもしかしたら、する側が自分の感性を表現するだけの場なのかもしれない。

 

僕の好きなこれ。私が共感できるこれ。と、自己表現を伴って提示された作品を好めないのは、人と一緒にはなりたくないという根本があるのではないか。

 

現にTSUTAYAのオススメコーナーに置いてあるDVDはさほど抵抗なく手に取れてしまう。

 

特定の誰かを意識してしまうと急に見る気をなくすオススメは、作品にしてみれば、とばっちり以外のなんでもない。

 

自分で探すんで、好きだと思う。は勘弁してください。

 

 

では、また。