ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

ライブはお茶の間で見られない。

 

BUMP OF CHIKENの藤くんは「ライブはお茶の間でせんべいかじりながら見るもんじゃない」と言っていた。

 

まさにその通りだと思う。

 

画面越しに見るライブは生ものではなくなってしまっている。

それはタイムラグとか、五感で感じ取れていないから。ということではなく、楽しみ方がライブの本来のものとは異なっている。

 

どっちがいい。どっちが悪いという話ではない。

 

新しい娯楽としてライブ配信は形になっていると、僕は思う。

お茶の間の人気番組ミュージックステーションなんかもそうだけど、感情を言語化して感想を共有しあうという見方は、ライブの楽しみ方とは全く違う。あーだこーだ言いながら見るライブは、LIVEではなくMVやPVのそれと同質だ。

 

同じ曲を聴いた時に、耳から音声が入ってくるという受動の仕方は同じでも、ライブと配信では違うものだといえるのは、この点においてだ。

感情を言語化できてしまうか、ステージに直接返せるか。この違いは、娯楽の本質の差異として現れている。

 

フェスのライブ配信は、Gyao、Abema、LINELIVEなどが市民権を獲得していくうちに、定番のプログラムになっていった。ツイキャスやUstなんかもそうだ。

 

けれど、画面にかじりつくようにしてライブ配信を見ている人はどれくらいいるのだろうか。

 

ライブ中に共有されているコメントをみると、セトリに一喜一憂したり、応援メッセージなんかをつぶやいているみたいだけど、これは思ったことを発信できるという楽しみ方に起因している。

ライブそのものを楽しんでいるのではなく、mp3として曲を聴き、その感想を示すことに楽しさを感じているのだと思う。

配信は、金曜ロードショウと共にSNSの肴になっている。

 

 なんども言うが、いい悪いの話ではない。娯楽として別個のものになっているからこういった楽しみ方が主流になっているのだと思う。

ライブの楽しみ方としてなってない。と老害ポジションに落ち着きたい訳ではない。

 

ライブ中であれば、隣の人と「いいねー」とか「この曲好き」なんて会話は所構わず起きることはない。ましてや演奏中のメンバー、主にギタボ、特に川上洋平のかっこよさに絶叫することなんてまぁない。

思ってても、言葉にすることはなくて、動作と表情で表現してるでしょライブ会場なら。

いや、起きてるのかもしれないけど、見たことない。

 

ステージ、観客、曲の一体感は非言語化された行動が生み出している。 

楽しい、嬉しいは飛び跳ねたり、手を挙げたり、走り回ったりと五体で表現することができる。言葉で共有しなくても、それは周りの人に伝わっている。だからあの一体感が作られるのだと思う。

そういった意味でやっぱりライブは生ものだし、現地じゃなきゃ体感できないことが確実にある。

 

ライブ配信でこれは作れない。画面越しの観客は発信するばかり。他の人の意見は怒涛の勢いで流れてしまっている。一緒に見ているようで見ていないのだ。

結局のところ、所詮といったら失礼だけど、配信は映像でしかない。「参戦」なんてできやしないのだ。

 

遠方に住んでいて見に行けない。入院しちゃいました。とか、ちょっと興味ある程度のアーティストにハマるきっかけになるとか、そういった救済策や広告的な面においてライブ配信は価値がある。と思う。あくまで、持論ね。

 

僕らが画面越しに見るライブはどんな見方をしても映像でしかない。

だからやっぱり藤くんの言う通り、ライブはお茶の間で見るもんじゃないのだ。というか見ることはできない。

 

無料のコンテンツだけを消費し続けていては、いずれ有料コンテンツを含んだジャンルが停滞してしまう。

ライブ配信はライブとイコールだと考えて見た気になるのではなく、一度くらいは足を運んでみるべきではないでしょうか。

 

 

散々分かったような口ぶりで語ってきたけれど、今日のPeopleのライブ配信はとても楽しみです。

iPadに向き合って正座して見ます。

 

 

では、また。