ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

見栄を張らせてくれ。

 

電車にのると見栄を張りたくなる。

小さい小さいことだが、電車内では見栄を張りたくなる。

 

言葉も交わさないし、思い思いのことをする乗客が、そんな都合よく自分のことを見るはずもないのだが、電車内では人の目線を意識して動いてしまう。

必死に僕はこういう人間なんです。と、虚空に向かってアピールしている自分がいる。虚しくはない。

 

画面に表示されるため、音楽は有名どころを避けて聞くようにする。

スタミナが回復しきっててもアプリはやらない。

そんなことも知らないのと笑われるのを防ぐため、検索もあまりしない。

 

こういうちっちゃいことにちまちまちまちま取り組む僕は、意外と色々なことに気を配れる人間なのかもしれない。

決してしょうもないとは言わせない。

 

例えば、他の人がスマホの画面を覗いた時に、普段聴かない音楽が表示されていて欲しくない。

あ、この人はゲス極、クリープハイプやWANIMA、RAD、アレキなんかが好きなんだと勘違いされたくない。

いや、列挙したバンドが嫌いということはないんだけれど、フェスに出てたら観ようレベルで決して1番ではない。

 

だから、音楽性ってやつに正しいレッテルを貼られるよう、誰も見てないスマホの画面を操作している。

 

もっと言えばミーハーだと思われたくない。

髪のインナーカラーがやけに奇抜で、黒いバンT、スニーカーにリュックスタイルで目の下が赤い、そんな素敵サブカル女子に、ミーハーだと思われたくない。

あ、スニーカーはサンダル靴下の可能性もある。

 

絶対に見てなんかいないのは分かってる。けれど、普段どんな音楽を聴くのか。これが正しく認識されるために、僕は気分や、頭の中で急に繰り返されるフレーズに逆らって音楽を聴く。

 

趣味嗜好とはなんだったのか。そんなことはもう関係ない。

 

しかもこういった普段聴かないバンドを聴くときは、たまたま聴きたい1曲があって、それ目当てで流すことが多い。

だから、どうだっていいしょうもないことだと知りながらも、ミスリードを防ごうと躍起になってる。

 

 

あと電車内で本を読むときは洋書を読むようにしている。

ダッサと思った方々。とにかく理由を聞いてくださいよ。

なんでもかんでもバカにすればいいってもんじゃないですよ。

 

単純に読まないといけないものが総じて洋書ということもあるのだけど、洋書を読んでたらちょっとカッコよく見えませんか。

そんなことないですか。違いますか。そうですか。

 

とにかく、カッコつけ半分、読まないといけない本の消化が半分で、電車内では洋書を読んでいる。

しかしこの洋書は音楽以上にくせ者なのだ。恐らく電車内で本を読む時のあるあるに近いのだけれど、読み始めたら最後、降りるまで寝られない。

寝たら最後、「あ、内容分かんなくて寝たんだ」とか、「読んでたら眠くなったのかな」とか、こちらの期待とは違う憶測で見られることになる。英語で書かれているだけに、下手に寝ると、勉強嫌いな大学生が課題のためだけに読んでいると思われかねない。

 

見栄半分の読書で、読み間違えられるわけにはいかない。

誰と戦っているのか分からない。

なんのために読んでるのか時折見失いながらも、そんなわけで読書を続けている。

 

挙げた例2つはなんとも情けないものであるように思われるかもしれない。

こう思われたい。こうありたい。と願う姿・形のために奔走することはみっともなく見えるのかもしれない。

けれど、人目はいつだって気になるし、どう思われているのか常に知りたい。

 

だからせめて見栄を張らせてくれ。

 

見栄を張ってることに気づいても、見ぬふりをしてくれ。

見栄を張ってでもなんとか形を保ちたい生活がある。

 

もっと肩の力を抜いて生きなよ。

そんなことは分かってる。けど、いつだって一定の範囲内には他人がいるのだ。

 

劣等感も優越感も感じたくて感じているわけじゃない。

 

だから、頼む。見栄を張らせてくれ。

 

 

では、また。