ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

絶対に許さんぞ、50円玉。

 

 あくまで僕は、となるかわかんないけれど、お会計って日常で最もストレスを感じる行動の一つだ。

満員電車くらいストレス。何したい?-会えればいい。の問答くらいストレス。

膨らませてなんとかするから、やりたいことはせめて提案してくれ。トイレ借りたついでにガム買おうくらいの軽い気持ちでいいからさ。

 

 欲しいものであっても、お金が手元からなくなってしまうから。ということは理由の一つなんだけど、それ以上に早くしないといけないという不文律がストレスだ。

 

後ろに人が並んでるから急がなきゃ。店員さんが大変だから急がなきゃ。お会計はスマートにするのがかっこいいから急がなきゃ。

 

ただ商品やサービスに対してお金を支払うだけなのに、意識を巡らせないといけないことが多すぎる。そして意識したほうがいいことが蔓延しすぎてる。

 

「お互いが気持ちよくなれるから」という理由は分かるんだけど、金稼ぐためにやってるんだからそんなに要望だすなって。

特にコンビニやスーパー。日用品の買い物。全部セルフレジにして欲しいよほんと。

 

レシートしまう時、小銭を渡す時、カードを探している時、端数を調整しようとする時、手を重ねて丁寧に待たないでくれ。

そんで今僕の番なのに、後ろのやつはセカセカしないでくれ。

 

 だから僕は50円玉が許せない。

日銀が生み出した悪魔の硬貨。

あいつになんど苦渋を飲まされてきたことか。

 

今日は硬貨とレジについて考えたい。

 

 50円玉が許せない。分かりやすく換言するならば、「財布の中で100円玉感を醸さないで」ということだ。

 

処分を待つレシートと、錆びついた10円玉で膨らんだ財布の中で、50円玉はその形と色で100円玉のような雰囲気を醸し出す。

 

手持ちを確認したときに、銀色の硬貨が多くあり、これなら1000円を出すまでもない、と勝利を確信し会計にいくと、1枚だけ50円玉。小銭で足りるはずの算段は見事に砕け散り、泣く泣くお札を出す。

こんな経験ないだろうか。

 

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急いでお札を出しジャラジャラと小銭を回収すると、寂しさと恥ずかしさが一緒にやってくる。

絶対に付き合えると確信し告白するも、「友達の期間が長いから、もうそんな風には」とフラれた時の苦い記憶が蘇る。

 

 あまりにも似すぎなのだ。他の硬貨はみんな独自の形でアイデンティティを形成しているのに、50円玉だけ100円玉のなりそこない感が強い。

 

銀の硬貨で穴が空いてるのが珍しいからって100円玉先生には遠く及ばないからな。

100円玉がまとまってあるだけで富豪になった気分になれるんだからな。

 

 もちろん1000いくらの会計においては、50円玉が一枚あるだけでとんでもなく心強いのだけど、硬貨で決着をつけようとする勝負において、あやつの存在はピーキーすぎる。

 

 だからせめて横のギザギザを無くすとか、今以上に小さくするとか、なんか形を変えて欲しい。これ以上悲しき被害者を増やさないためにも。

 

 あとレジの話ついでにもう一つ、日頃の思いを打ち明けたい。

 

レシート渡すの、お札と一緒じゃだめですか?

 

 レシートを小銭と一緒にしまう人は、小銭入れを使っている人でもあまり見かけない。

だいたいがお札と同じ部屋に帰っていく。

いちいち折りたたむ必要もクシャっとする必要もなく、一番スムーズに入る。これはもう人間の遺伝に刻み込まれているのか、9割の人がお札とともに収納する。残り1割はポケットか破棄。

多分コジマジックでさえ財布のお札部屋に収納してる。知らんけど。

 

 だから硬貨を乗せて、もしくは硬貨を渡し終わった後に別途で渡す必要はないんじゃないかと常々思ってる。 

 

皆があるべき場所へ一緒に帰れるようにするのではダメなのか。お釣り補完計画でも提唱したい気分だ。

 

会計にストレスを感じる日々はまだまだ続く。

 

 

では、また。