ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

人の笑顔がみたいのか。

 

 いいことをすると、巡り巡って自分にいいことが起きるという、日本人ならではの価値観。どれくらいそれに身を委ねるべきなのか時折わからなくなる。

 

利他主義を掲げて、募金やボランティア活動、人の笑顔をみるための活動に尽力すると幸福指数は高くなるのか。価値観通りに、いいことは自分の身に多く訪れるのか。それはいいことをしていたからという認識が先立っていたからではないのか。当人にならなければ分からないから、一概にこうと言い切れない。けれど、人の笑顔のために動くと悪い気がすることはない。それは、電車の席を譲るという些細なことであっても。

 

善行ひとつにこんなに想いを巡らせてしまうのには、理由がある。

 

誰だってそうだと思うが、いいことを人にした時と同じくらい、何かを独り占めするといい気持ちになれる。僕はこの独り占めが好きで好きでしょうがない。見事にヴィランズの基本理念を満たせている。正義の味方より圧倒的に悪役向き。気がついたら性善説を肯定できなくなっている。

 

シェアハッピー?

なにバカなこと言ってんだと思わずにはいられない。

ポッキーを例に出せば、みんなで分け合って食べるより、1人で1箱食べたほうが個人的には幸福指数が高い。まず、食べる本数が減らないから圧倒的に満足できる。また、子どもの頃に抱いていた「お菓子独り占め」というなんとも安直な欲望を満たせていることに、笑みを浮かべてしまう。

 

シェアをすることで、他の人も美味しさで笑顔になれたら、確かにそこに新しい幸福が生まれる。自分が食べた「幸せ」と他の人の笑顔での「幸せ」。種類は違えど、1粒で2度美味しい状況になる。なるけども。なるんだけども。いや、なるけども、本数を食べることに感じる幸福度が減ってる以上、独り占めもシェアも、最終的な数値は変わらないんだと思ってる。

 

どうだろう。1人で食べる気満々で買ったポッキーを各所で頂戴とねだられたら切ない気持ちになるんじゃないか。やっぱりみんなたまらなく独り占めが好きなんですよ。

 

簡単にできる贅沢じゃないですか。

手に入らないものと、持ってるものを比べて勝手に満たされなくなってる僕らが、簡単にできる自分の満たし方じゃないですか。独り占めって。

 

分け合うこと。循環させること。もちろんこれらは大事だと思いますよ。けれど、なんでもかんでもみんな、分け合ってたら、手元にある幾ばくかの残りに悲しさを覚えるときがあると思うんですよ。あの時こうしていれば、あの日に戻れれば、って大体何かを手放したときじゃないですか?

 

所属する環境をふまえながらも、もっと素直に独り占めできるようになったら、もっと満たされるようになるんじゃないかと思うんですよね。

 

 

僕がまだプリキュアだったころ、日朝には『ハピネスチャージプリキュア』が全国のプリキュア達に元気を与えていた。

 

僕はこの作品のホッシーワがとても好きだ。ひめも好きなんだけど、ホッシーワは悪役なのに愛嬌があるから1歩リードしてる。

 

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  ホッシーワ | 幻影帝国 | キャラクター | ハピネスチャージプリキュア!

 可愛い。悪役感が滲み出てる。

 

話を本筋に戻そう。

このホッシーワは独占欲を絵に描いたようなキャラクターで、「ケーキはホールが1個なの」と発言するなど、シェアとは無縁のキャラクターとして描かれている。

 

その中で、「痛みも苦しみも誰も一緒に味わってくれない、だったら喜びだって独り占めしたっていいじゃない」という台詞を散り際に残している。日朝の幼児向けの作品とは思えない深み。

 

最終的にはプリキュアシリーズの流れに逆らえず、主人公一味に負けてしまうんだけど、この考え方は結局否定できないと思うんですよね。何か特定のものに執着して、それを独占したくなるのは、人間ならではじゃないですか。分かち合うことでできることと、独占してできることは独立してていいはずなんですよ。

 

だから僕はどっちのいいところも独り占めしていたい。自分のお菓子は自分で食べる。シェアするならするで、その人との喜びは独り占めしていたい。

 

人を笑顔にできるなら、お菓子はシェアするし、疲れてたって老人に席は譲る。けど、それで生じる笑顔は独り占めしたい。シェアなんてまっぴらごめんだ。僕が生み出した喜びは僕だけのものにしたいんだ。そうした喜びが手元に残るなら、たらればの後悔はなくなるに違いない。

 

 

では、また。