ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

今年も七夕がやってきた。

 

今年も七夕がやってきた。

 

彦星と織姫が出会うだけなのに、願い事を叶えてもらおうと画策する僕らは、加藤紗里に後ろ指をさせないくらい便乗商法に慣れ親しんでいる。人の恋路にとやかく言いたくなる性格は古来よりなんも変わっていないみたいだ。

 

忙しくなるにつれて日付の感覚が薄れていく。バレンタインやクリスマスほどのビッグイベントじゃないと気づかないで1日を終えてしまうことがある。桃の節句やプレミアムフライデーなんかがそうだ。10月10日の目の日とか11月11日のポッキーの日も当てはまったりする。後になってあ、今日がそうだったんだと気がつくことの多いこと多いこと。

 

知らないまま先に進めたらいいんだけど、後になって気がついたばっかりになんだか損した気分になる。気がついていたら楽しめたイベントがあったはずなのに、知らないがばっかりに逃してしまったような。

 

七夕もいずれはそんな感じになってしまうのだろうか。願い事をしている人はいまだに一定数いるとはいえ、笹の葉さらさらなんて光景を見かけることはほとんどなくなってしまっている。七夕と旧七夕みたいなのがあって、どっちに全力投球していいのかいまいちはっきりしないのも問題の1つな気がする。もとから叶わないと頭の片隅では分かっていても、どこかに望みを見出していたいのが願う側の心理じゃないですか。「書いたんだから叶うかもしれない」みたいな。「七夕じゃなくて旧七夕が本命です~」と彦星に嘲笑されると思うと気持ちもなかなか入らない。◯◯君がもう浮気しませんように。と夢の国の短冊コーナーに書いていた女性くらいにならないと、なかなか本気でお願いしにいけない。

 

ただ、織姫と彦星の立場からすればありがたい話なんだろうな。24時間しか一緒にいられないのに、庶民の願いを聞き入れなきゃいけないなんて忙しすぎる。もっとヤリたいことがたくさんあるはずだ。短冊を見るのは賢者モードになった合間にでもやっているんだろうか。

 

民間伝承は大変だよなと他人事ながらに思う。

桃の節句も七夕も、祝日だから扱いが違う感じがするけれど子どもの日も皆、何かとコラボしたりしてお金に変えないとすぐに廃れる一歩手前みたいな状況になっている。限定商品なり期間限定商品をつくってモノとして形に残さないと、お祝い事としての形を保てなくなっている。願いはお金の前で無力だ。こんなところにも結局強いのはお金説が浮上してくる。

 

愛よりも願いよりも祈りよりもお金。資本主義の限界が毎年七夕になると見えるような気がする。

 

では、また。