ドストエフスキーを読んだと嘘をついた。

だから意見、お貸しします。

就活生は何処へ行く。

 

なんだかんだあって就活をしている。

 

同い年の奴らはみんな社会人だから、ありがちな情報交換やSPIの話、一緒に説明会に行ってみるとか、そんなことは一切ない。

 

水滴がテーブルの上で五輪の形になった居酒屋では、みんな揃って学生の素晴らしさを教えてくれるが、羨ましいなと思ってしまう。

戻りたい過去と、比較できるだけの今があるなんて素晴らしいじゃないか。少なくとも、実像のある将来を実感しているんでしょう?

 

それは学生のたわごとだと笑うかね。

 

とにかく素敵らしい学生という肩書きを持つ僕は、就活に必死だ。

受かれば叫びたい衝動を抑えて電車に乗るし、落ちたら履歴書やESを見返して確かにこんなやつ採らないよなと、笑う。

 

では、内定はどうだろう。

なりたい自分と、あの娘を口説くくらいの意気込みで語ったラブコールが、見事に実った結果だけれども、内定をもらったときはどんな反応が適当なのだろうか。

 

素直に喜べない。

具体性のない将来が、急に姿を見せてきて吐き気がした。

 

なりたい自分は、本当になりたい像なのか。

強みは?弱みは?PRポイントは?

それは本当に自分なのか不安になってくる。

 

どこにも実態がない。

 

職種?働き方?我が子を抱える奥さんが待つ家に帰る足取り?

なにをもって将来の自分を想像すればいいのか。

 

みんなどこかで線を引くのだろうけど、線の引き方はマナー講座でもセミナーでも合同説明会でも教えてくれなかった。ハムレットにも、マクベスにも、終わり良ければすべて良しにも書いてなかった。

 

みんなどこに線を引いてそっち側に渡ったんだい。

 

軸でしょ。なんて回答がエリート就活生から聞こえてきそうだけど、軸ってなんだよ。

立て方があってるかなんて、将来振り返って見なければわからない。

人生やり直せるのは数回きり。残数の確認は残念ながら今現在できなさそうだ。

 

あのときこうしていればと、ソラニンを聞いておセンチになれるのは高校生までだ。

 

 

幸せな悩みなのだと思う。

いろんな企業によくしていただいて、いろんな企業に興味を持ってもらえてる。

 

果たしてその自分が、自分なのかわからないだけで。

 

何かになりたい自分は何者なのか。

地下鉄の窓越しに映る自分の顔は20数年間見続けてきた自分そのものだった。

 

乗り換えを急ぐ足が、追い抜いてきた人々の、人生まで追い越していけたらいいのになぁ。

誰かに人生や夢の続きを託されていたらそれを大義にできたのかね。

 

階段を上がると初夏だった。

汗ばんだワイシャツと、緩めたいネクタイにがんじがらめの僕は、過去の僕が託した将来像を形にしていく現在に実感を持てない。

 

空虚さと実感の湧かない自分自身を就活バッグに詰めて帰路につく。

 

 

では、また。

 

P.S.

都電荒川線って東京さくらトラムってオシャレな名前に変わったんですね。